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~シンガー・ソングライター・ドクター 前例がない道の歩き方~

アンサリー インタビュー(前編)
~シンガー・ソングライター・ドクター 前例がない道の歩き方~

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まるで自分にだけ歌いかけてくれているかのように、一言一句を細胞レベルにまで届けてくれて、いつの間にか心を静めてくれる。
楽曲を聴くたびに、いつもそんな感情を抱かせられるシンガー・ソングライターのアンサリーさん。
デビュー前からずっと内科医として勤務されており、近年のコロナ禍においては発熱外来も担当されていたそう。

2001年リリースのアルバム『Voyage』でのデビュー以来、ニンテンドーDS「レイトン教授と最後の時間旅行」のテーマ曲『時間旅行』の作詞・作曲・歌唱、映画「おおかみこどもの雨と雪」の主題歌『おかあさんの唄』の歌唱、NHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」の挿入歌『おかえり』の作詞・歌唱など、長年に亘り幅広く活躍されています。
音楽と医療の両立や、ストレスとの向き合い方、ご自身による作詞・作曲のことや著作権のお話などを伺いました。

(プロフィール)
アンサリー
シンガー・ソングライター・ドクター

2001年、研修医として勤務する傍ら、アルバム『Voyage』でデビューする。翌年にニューオリンズに留学し、循環器内科の研究の傍ら本場のジャズに触れる3年間を過ごす。その間に発売したアルバム『Day Dream』『Moon Dance』が『Voyage』と共にロングセラーとなり、その後も多くのアルバムやCM・映画主題歌などを歌唱。創作活動、ライブ活動も積極的に行い、日本各地で歌声を届け続けている。

新型コロナウイルスの感染法上の分類が「5類」に移行されることも決まり、コロナ前の日常を取り戻しつつありますが、コロナ禍ではどのように過ごされていましたか?

内科医としての通常診療のほかに、新型コロナウイルスに罹患した方の診療もしていました。本当に世間で発表される感染者数と忙しさが連動していましたね。発熱外来は、通常の診療と別に行わなければいけないので、通常の診療時間が終わったら発熱外来、という感じで、診療所の外に特別な場所を設けて対応していました。
他の病院で診察を断られた方もいらっしゃったので、困っている方のお役に立てるという実感がいつも以上に感じられてモチベーション高く働いていました。

コンサートは軒並み中止だったのでしょうか?

2020年の途中まではコロナ前から入っていた予定で開催していましたが、その後は新たなコンサートの予定やイベントが、自粛のためめっきり少なくなってしまいました。
そのぽっかり空いた時間で、アルバム『はじまりのとき』を作りました。コロナ前は、ライブとレコーディングを両方やるのは結構難しかったんですよね。それが、ライブがなくなって、レコーディングにとても集中できました。創造的なものは、ある程度の時間のゆとりから生まれてくるものなのかなと思ったりして、私にとっては、悪くない時間だったと思い返しています。

アンサリー『はじまりのとき』(2022年2月3日リリース)
2020年の半年間に、東京のスタジオセッションに加え、ロサンジェルスやニューオリンズ、日本の地方都市からのリモート録音も駆使して制作されたアルバム。13曲中10曲がオリジナル曲となっている。アンサリー公式ショップ限定販売。

※後編にサイン入りCDプレゼントのお知らせがございます。

コンサートがなくなってしまった虚無感や無力感はありませんでしたか?

あんまり考えなかった、というか、考える時間がなかったんです。
勤務先の病院から「歌の仕事減ったよね?じゃあもう少し入れるよね!」と、コロナの影響もあり医師の仕事が増えましたので、ライブが再開してきた今は「増えてしまった医師の仕事を減らせない…」というのが、実はちょっと悩みだったりします。
コロナ前はコロナ前で、平日は医師として働き、週末は歌手として歌い、と年中無休でしたが、あんまり忙しいと感じたことはなくて…。歌うこともお客様がいらっしゃるという点では仕事でもあるんですけど、自分自身が楽しんでいるという感覚の方が大きいです。

ライブはアンサリーさんにとって疲弊するものではないんですね。

精神的な疲弊というのはほとんど感じません。
医療もライブも集中力がすっごく大切で、集中力は体力がないと保てないので、日々体力作りをしっかりしなきゃと心掛けてはいます。ステージに出た瞬間は、緊張でもう歌えないかもと怯えていても、声を出していると心身が活性化して、だんだん落ち着いてきてテンションが上がり、ライブが1本終わる頃にはすごく元気になってます(笑)。
家で休む週末よりも、ライブのあった週末はテンションの高いまま月曜日を迎えています。患者さんと接していてもテンションは上がりますので、ずっと上がったままということになりますね(笑)。

ライブで歌うことでご自身も回復させているということですね。

そうですね。歌うことがお仕事ではなかった時代は、自分自身のためだけに歌うという要素が強かったかもしれません。研修医時代、落ち込んだり恐かったり、色んな感情が押し寄せてくるときに、歌うことで心の平静を保っていました。
最近では、自分の役割を全うしようという意識が強くなっています。みんなそれぞれ自分の役割、たとえば農家だったり、職人だったりというそれぞれの役割を全うして、持てる技をシェアし合ってるんだなと思うようになってきました。私の場合には、医師と歌手としての役割をシェアしているのだなと。

歌手活動を始めるきっかけを教えてください。

研修医になって1・2年目の本当に忙しい時期も、ミュージシャン志望の友人と演奏機会を捻出して時々歌ったりもしていました。
そんな頃偶然、後のプロデューサーとなる方の目に留まる機会があり「スタジオで音源を取ってみないか?」と声をかけてくださったんです。
当時すでに医師として働いていたので、歌手としてフルの活動は難しいことを予め伝えた上で、社会見学とか人生の記念のつもりで録音をしてみることになりました。
病院の上司にもその状況をお伝えしたところ、やってみたらよいのではないかとご理解くださり、後にアルバムとして完成したときには、医局で宣伝ポスターを貼ってくださったり。周りの方に恵まれてきたというのは本当にありますね。

ただ、二つのことを仕事としてやるからには、医師も歌手も両方とも絶対に手を抜けないという意識は強く持っていました。それぞれに可能な限り全力でやっていたと思います。

当時受けたディレクションが、現在の歌唱スタイルに活かされているのでしょうか。

デビュー当時も、アルバムに収録する選曲や歌唱法など、かなり私の好みを反映したやり方を尊重してくださる現場に恵まれてきたと思います。一方で、CDというパッケージを作るという未知の領域については、たくさんの良きディレクションがあったと思います。

ジョアン・ジルベルトの『三月の水』というアルバムが好きで、こんな音像で録ることが理想だという希望を伝えると、それを実現するために録音方法の試行錯誤やアイデアを持ち寄ってくださったりといった形でディレクションを頂きました。
自分だけでは客観視しきれない部分もあると思いますので、私の声の特徴を引き出す方法を模索していただいたことは、今に繋がっている部分もあるのかなと思います。

プロデューサーの色に染まらず、選曲も聞き手に媚びない(笑)。
それでもオファーが絶えないのは、どんな秘密があるのでしょうか。

人に恵まれたというのはもちろんですし、始めたときから、医師と歌手を両方やる、そういう人だ、という前提でデビューしました。周りがそれに難色を示す方ばかりなら今の活動はなかったのかも知れません。その後もやりたいことを一貫して無理なくやり続けているという姿勢がよかったのかもしれないですね。取り上げる曲もいつも本当にジャンルがバラバラなのですが、不思議に私のカラーでまとまってる、と言っていただけてありがたいです。

2つの仕事を持つことで、かえって余裕みたいなものが生まれるのでしょうか?

あまりその点は意識したことはないのですが、生涯が修行であるような医師という仕事に対しても音楽活動に対しても、どうしたらより良いものを創れるか、と追求することに純粋でい続けられたということが大きいのでしょうか。そういう部分が聴いてくださる方に伝わっているのかも知れません。

ニューオリンズにいた頃は、昼間は定時の仕事をして、夜はプロのミュージシャンと、お仕事を掛け持ちしていらっしゃる方にたくさん出会いました。日本だと、まだまだ二足の草鞋がめずらしいのかも知れませんが、二足の草鞋の強みや魅力があると思うので、もっとその辺りの風通しが良くなるといいなと思います。

後編 へつづく

後編では、日々のストレスとの向き合い方、緊張の克服方法、さらには著作権に関する話題まで、幅広く貴重なお話をご紹介します。

TEXT:KENDRIX Media 編集部
PHOTO:和田貴光

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