町田樹さんに聞く
~フィギュアスケートと音楽と著作権〜
フィギュアスケート日本代表として2014年ソチ・オリンピックに出場したのち、同年12月に競技者を引退した町田樹さんは、現在はスポーツ科学の研究者として活動している。
2023年3月29日、そんな町田樹さんに「第16回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」が贈られた。
同賞は、日本語による「哲学エッセイ」を確立させた文筆家・池田晶子(1960ー2007)の遺志と業績を記念して、新しい言葉の担い手に向けて創設された賞で、「ジャンルを問わず、ひたすら考えること、それを言葉で表わし、結果として新たな表現方法を獲得しようと努める人間の営みに至上の価値をおくもの」とされている。
評価の対象となったのは、町田樹さんによる著書『若きアスリートへの手紙──〈競技する身体〉の哲学』(山と渓谷社、2022年)である。本書のなかで町田さんは「踊るアスリートのための著作権入門その1・その2・その3」という章を設け、踊るアスリートは著作物の利用者であるとともに舞踊の実演に関する著作隣接権者、さらに振付の著作者となりうることを分かりやすく解説している。
若きアスリートに向け、多くの章を割いて著作権に関するメッセージを綴った町田さんに、「すべての音楽クリエイターが Creation Ecosystem に参画できる世界」の実現を目指して、「権利のDX」を志向するKENDRIX Mediaとして、インタビュー取材を行わせていただいた。
<プロフィール>
町田樹(まちだ たつき)
1990年生まれ
神奈川県川崎市出身
スポーツ科学研究者。振付家。スポーツ解説者。
3歳からフィギュアスケートを始め、24歳で競技者を引退。
現在、國學院大學人間開発学部助教。2020年3月、博士(スポーツ科学/早稲田大学)を取得。専門は、スポーツ&アーツマネジメント、身体芸術論、スポーツ文化論、文化経済学。
フィギュアスケートのプログラムも著作物になりうる
現在の活動状況を教えてください。
大学教員、研究者として活動しておりまして、2020年3月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の博士課程を修了して博士(スポーツ科学)の学位を取り、同年10月から國學院大學人間開発学部の助教に着任しました。
それからは助教として日々この大学で研究・教育活動に取り組んでいます。
さらに、フィギュアスケートの振付家や解説者としても活動しており、研究の成果を実践現場に還元する取り組みにも励んでおります。
私自身の研究テーマとしては、フィギュアスケートや新体操、アーティスティックスイミングなど、競技性と芸術性が併存しているスポーツを「アーティスティックスポーツ」と定義し、舞踊などとあわせて、これらのマネジメントの研究、文化論的な研究、そして知的財産権に関する研究などを学際的に行っているという状況です。
本日は研究室にお邪魔していますが、書架には著作権法に関する専門書が沢山ありますね。
これは本当に一部ですね。自宅にはもっと沢山、『JASRAC概論』(※)もありますよ(笑)。
※『JASRAC概論ー音楽著作権の法と管理』(日本評論社、2009年):JASRACの実務解説を通じて、音楽著作権管理の実際と関連法を解説する書籍。
フィギュアスケートもクリエイティビティを駆使して、プログラムを創作して実演するのですが、「スポーツなのだからフィギュアスケートの演技は著作物にあらず」という社会通念がありました。フィギュアスケートのプログラムや振付が著作物であるという価値観がなかったのです。
音楽を使う立場として「音楽著作権を守りましょう」ということだけ意識していたのですが、大学や大学院で著作権法を勉強し、私達もまた振付という形で著作物を創作しそれを実演する、音楽家や演奏家と何ら変わらない活動をしているのだと考えるようになりました。
フィギュアスケートの演技には著作物性がないという社会通念、あるいは法学領域の観念を変えることが私の目標となり、大学院時代に、日本知財学会にフィギュアスケートのプログラムが著作物に該当することを論証する論文(※)を提出しました。
結果としてこの論文で同学会の優秀論文賞を受賞でき、私の考え方を評価していただくことができました。
※「著作権法によるアーティスティック・スポーツの保護の可能性: 振付を対象とした著作物性の画定をめぐる判断基準の検討」(2019年)
継承プロジェクトという試み
フィギュアスケートの演技にも著作物性があることを認めてもらうという目標を、すごくスマートに達成された印象を受けます。
いえ、JASRACの方に言うのは釈迦に説法となりますが、業界に集中管理制度がなければ、著作権をいくら主張しても何にもならないわけです。論理を打ち立てても、実践していく制度や組織、インフラがないといけない。まだまだこれからです。
ただ、私個人としては2年前から「継承プロジェクト」(※)という活動に取り組んでいます。ゆくゆくは大きなムーブメントになればいいな、という願いを込めて始めたプロジェクトで、フィギュアスケートのプログラムを、音楽著作物のように許諾を得れば誰もが再演できるようにするという取り組みです。
※町田樹さんが2014年に制作したプログラム『Je te veux(ジュ・トゥ・ヴ)』について、平昌オリンピック代表の田中刑事さんに許諾を与え、自ら指導も行うことで、2021年に再演された。
著作権と言えばやはり著作者を守る、著作者の尊厳あるいは著作者の利益を担保するということが第一義になってくると思いますが、同じくらい大事なのが二次利用しやすくするための制度でもある、ということです。
これまでフィギュアスケートで他人のプログラムを再演する事例はなかったのでしょうか。
極めて事例は少ないですが、あるにはありました。ただしそれらは著作権制度を基盤にしたものではありませんでした。
フィギュアスケートのプログラムが著作物である、という観念がなかったので、許諾を得れば使える、という発想には至っていなかった。
とはいえ、誰も勝手には再演していなかったのです。著作物という概念がなかったとしても他者が創りあげたものだから他者のものであるという潜在的な自覚はある。ですから、倫理的に剽窃は起きなかった。
そこで、むしろ著作物であると言い切って、制度を整えた方が二次利用は進むのではないかと考えました。
著作物であれば著作権法上の権利制限もあるので、自由に使える範囲もかえって明確になりそうです。
そうですね。
使用料も常識の範囲に収まっている、そのような許諾システムがあれば、実質的には「誰もが自由に著作物を使える」といえる世の中を実現できると思うのです。
著作者の利益と尊厳を守る、そしてプラスアルファで二次利用や次なる作品の創造に役立てていく、それらが両輪となって回っていかないと、著作権も集中管理制度も無用の長物になると思っています。
継承プロジェクトについては、優れた作品の継承と再生産とともに、振付家の社会的地位の向上、ということも目的に掲げられていました。
私はアカデミアの領域からアプローチしましたが、それだけでは社会は動かせない。
歴史を振り返ると、やはり各ジャンルの著作権を主張し、制度を整備してきたのはいつでもアーティスト、クリエイターですよね。ですから、いくら研究者が言ったところでアーティストや業界のメインアクター自身が主体的に動かなければ、社会はどうしても動いていかない。いま一番その難しさを感じています。
町田さんは、現役の時から様々な問題意識をお持ちだったのでしょうか。
いえ。フィギュアスケートは若年スポーツで、実は選手としてのピークが20歳前後なのです。ほぼ未成年で構成される業界であるだけに、なかなか競技以外のことに意識が向きづらい状況にあります。
著作権については、高校を卒業するまで授業で聞いたことはないし、大学で法学とかを学ばないと触れられないですよね。
ただ、私の場合は現役時代の最後の頃から、自身で振付も実演もして、いわばシンガーソングライターのような形で活動していたので、振付の著作権は自分に帰属するのでは、という思いが大学生の頃に芽生えました。それをとっかかりにして研究を始めたのです。
関西大学の卒業論文は著作権がテーマで、学部の最後と、大学院では最初から今に至るまで、ずっと著作権を研究してきました。
集中管理制度とアーカイブの必要性
町田さんはフュギュアスケートのことを「音楽を滑りで表現する舞踊」と定義し、音楽を生命線とするフィギュアスケートの適正な発展のためには、著作権の集中管理制度とアーカイブが必要であると訴えられています。
やはり舞踊や音楽、パフォーミングアーツなどの時空間芸術というものは、テキストではなく映像や音声などの媒体でなければ完全にはアーカイブできないですよね。音楽はまだ楽譜というテキストを残すことができるにはできますが。舞踊などの著作物を二次利用、三次利用していこうと思えば、原著作者が伝授するか、あるいは映像が残っていないと不可能です。
フィギュアスケートの場合は、やはり映像のアーカイブが最も大事になりますね。
フィギュアスケートはありがたいことにスポーツとして人気コンテンツになっていますから、その映像はたいていNHKか民放キー局が撮影することになります。そして、それらの映像は当然、彼らの著作物として放送局のアーカイブに入っていくわけです。
映像の著作権は被写体にはないわけですから、そうするとその映像をスケーターたちが二次利用するのは困難になっていくわけです。並々ならぬ努力を重ね、なおかつそれ相応のコストをかけて、あのような演技(実演)を行っているにもかかわらず、その著作物をクリエイトし実演している当事者たちが権利を持っていないということになります。
演技には音楽も含まれていて、音楽著作権の処理が別途に必要なるということはありますけれど、とにかく演技映像の著作物は権利関係がさらにややこしいですし許諾料も高額で、およそ使えない、という状況になっているので、このアーカイブ事情を何とかしないと著作物の普及は正直あり得ないかと思います。
フィギュアスケート業界で言えば日本スケート連盟あるいは国際スケート連盟などの競技の統括組織が一元的な窓口になれば、理論上、一番効率よく集中管理の実現が可能です。
ただ、これは研究者として学術的理想論を提言しているだけなので、このことをどう捉えて行動に移すのか、移さないのかというのは業界次第だと思います。
フィギュアスケートの場合、アイスショーや競技会で実演を披露する、その様子が放送される、はたまた、自身の演技をYouTubeでライブ配信する、ライブ配信だけでなくアーカイブ配信も行う、といった態様に応じて、権利処理のハードルは変わってきます。
よく見ると、案外ハードルの低いケースもありますよね。
そういう意味では、よく分からない人からすると現実よりも高い壁が立ちはだかっているように思われていると思います。なんとなく「著作権の問題によりできません」と言われがちですが、正しい壁の高さを周知すべきだと思います。「権利処理って難しいんでしょう、許諾料は高額なんでしょう、無理だよね」とハナから諦めてしまったら、結局二次利用は進まない。適切なハードルの高さが周知されている、ということが重要だと思います。
ジャンル間転送という考え方
フィギュアスケートの権利に関する集中管理制度や、映像のアーカイブを実現するには、音楽の権利者による歩み寄りも必要だと思います。
そこでは、町田さんが提唱されている「ジャンル間転送」という考え方が一つのキーになると思います。
映画音楽を使ったスケートプログラムをきっかけに、映画や音楽の分野にもファンの興味が移っていくといった現象かと思います。これまで、なかなか分かりやすいひとことで表現されることはありませんでした。
©2020 町田樹 ※アラン・ピーコック「芸術市場論」をベースに、町田樹さんが第四市場を追加して補完したもの
「ジャンル間転送」ですが、分かりやすく言うと、フィギュアスケートの観客がスケーターの演技を見たことをきっかけに、その演技に関連する諸芸術作品(例えば、その演技で用いられている音楽や、その演技が題材としている舞踊作品)へと副次的にアクセスしていくという消費者行動の現象を指します。
各市場から著作者への対価還元はもちろんのこと、CDが売れるといった経済的な還元だけではなくて、転送された消費者が音楽や芸術の魅力を知り、継続的に関与し続ける、そこまで行動を変容させる力がフィギュアスケートにはあるのではないかと私は考えています。
とりわけ今は人気がすごいですが、浅田真央さん、高橋大輔さん、羽生結弦さん、宇野昌磨さんといったスター選手の求心力はものすごいですよね。私の研究でも明らかになっているのですが、フィギュアスケートのファンは、好きなスター選手に関係している芸術ジャンル(その選手が使った音楽であるとか、そのプログラムの背景となってる映画やアニメなど)に、かなり高い確率で転送されていることが明らかになっています。
ファンダムがジャンル間転送を強烈に促進させている、特にフィギュアスケートにはそういう傾向が強くあるのではないか、と思います。
こちらの調査結果ですね。とても興味深いです。まずこれほど高い回収率で回答を得られることが、フィギュアスケートの特別さを表わしている気がします。
※町田樹さんの了承を得て掲載(町田樹さんが、2016年7月に東京都内で開催された某アイスショーの観客全員に質問紙を配布して実施[有効回答率82.6%、1,361枚/1,647枚])
すごく実践的な研究ではあるのですが、ある一つのアイスショーで行ったすごく限定的な調査の結果です。ただ、これを精緻化して広げていけば、一つの著作物が持つ転送効果の強度だとか、どういう条件で転送が起こるのか、あるいはどういう許諾システムで著作物を流通させると転送が起こりやすいのか、どういう価格で著作物の利用を許諾すべきかなど、制度設計や価格設定の参考になりますよね。そこまで大規模な調査は私1人の力ではできないので、JASRACさんとかと共同検証できれば、すごく面白い研究になっていくのではないでしょうか。
若きクリエイターへのメッセージと今後の展望
最後に、『若きアスリートへの手紙』という著書でアスリートへのメッセージを綴られている町田さんから、若きアーティストやクリエイターへのメッセージと、ご自身の活動の今後の展望などをいただけますでしょうか。
もちろんフィギュアスケーターとアーティストは似ている存在だと思うのですが、むしろ私は研究者とアーティストも似たもの同士だと感じています。研究者にとって「巨人の肩の上に乗る」という言葉は金科玉条なのですが、先人たちが積み重ねてきたものを全部踏まえてその上に自分の新たな知見を積み重ねる、先人たちの知識をたどり、だからこそ新しいものが見えてくる、という考えです。
まだやられていない何かをオリジナリティとして少し加える。本能だけで創る人は別ですけど、基本的にアーティストはいろんな音楽を聴いて、従来の作品の内容や傾向などを総合的に理解した上で、どのようなことがオリジナリティにつながるのかを考えながら、音楽市場に対して作品を投入していくのではないでしょうか。その営みは、まさに研究者的なところがあって、そこはバチッと同じだと感じます。私は振付家でもありますが、振付家と研究者は全く別のアイデンティティなのかというと、そうではなく、むしろ全く同じことやっていると思っています。
誰もが過去の作品にアクセスできるアーカイブ、あるいは過去の作品をきちんと(適切かつ現実的な許諾料で)著作権処理し二次利用できる環境が、次世代のより良い作品を生み出すためのインフラになる、と私は考えています。
アカデミアの世界では図書館や論文のアーカイブがしっかりしていて、研究機関に属している限りこれらの全てのアーカイブにアクセスできる。音楽の分野でも、同じような状況は既に実現されていると思うので、フィギュアスケート界からしたら羨ましい限りです。私はこれからも一研究者として、アーカイブ環境の充実と演技(振付)の著作権制度整備に向けて様々な取り組みを展開していきたいと思っています。
(町田樹さんによる著書)
『若きアスリートへの手紙──〈競技する身体〉の哲学』(山と渓谷社、2022年)
『アーティスティックスポーツ研究序説―フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』(白水社、2020年)
(町田樹さんが監修・執筆した書籍)
『フィギュアスケートと音楽』(音楽之友社、2022年)
「フィギュアスケート界と音楽界の相互交流を図りながら、二つの文化の関係性を多角的に探求していくこと」を目的とするムック本。本書では、フィギュアスケートにおける選曲や振付に関する解説や、音楽に着目したフィギュアスケート鑑賞法の提案に加え、当該インタビューでも触れられた音楽著作権や音楽分野に対してフィギュアスケートがもたらす経済効果に関する考察などのエッセンスがコンパクトに分かりやすくまとめられている。
TEXT:KENDRIX Media 編集部
PHOTO:和田貴光
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