TOP記事投稿WELCOME TO THE PYRAMID
~おとぼけビ~バ~ がやってきた!(中編)

WELCOME TO THE PYRAMID
~おとぼけビ~バ~ がやってきた!(中編)

thumb

(Interlude)中編やで

おとぼけビ~バ~というバンドがJASRACのことを歌にしている、という情報をキャッチしたことから、単独ライブとしては最大規模となるリキッドルームでの公演を終えたばかりのメンバーを、ピラミッドにお招きした。

中編では、おとぼけビ~バ~のこれまでの軌跡に迫ります。

前編は こちら

(プロフィール)

おとぼけビ~バ~

左から、かほキッス(Dr.)、よよよしえ(Gt.)、あっこりんりん(Vo.)、ひろちゃん(Ba.)

立命館大学ロックコミューン内にて、あっこりんりん、よよよしえを中心として、2009年に結成。
2018年7月より現体制へ移行。

2016年以降、イギリスのDamnably Recordsから音源をリリース。
2016年UKツアー以降、毎年のようにUKツアーやヨーロッパツアーを敢行。
大規模フェスへの出演も多数(2017年、2019年のSXSW、2018年のコーチェラ、2022年のプリマベーラ・サウンドなど)。

(Track 3)おとぼけビ~バ~のこれまで

おとぼけビ~バ~結成までのお話と、海外フェスに出るようになったきっかけをお聞かせいただきたいです。

あっこ:私とよしえが大学の同級生で。「ロックコミューン」というオリジナル中心の音楽サークルで出会って。あと二人は今の体制とは違ったんですけど、同期の女が4人しかいなくて。
別に女と組みたいとかそういうのはなかったんですけど、なんとなく。

よしえ:そこから、社会人を経て今があるんですけど。
当時は音楽一本で、ということは全く考えていなかったので、卒業してみんな就職しながらバンドを続けてみるというスタンスだったのですが、生活スタイルがガラッと変わってしまったことでみんなちょっと1回ちりぢりになりまして。
というのも私は東京で働いていたっていうこともあって、1年ぐらい全く何もできない時期があって。そういう時期を経てやっぱりどうしてもバンドやりたいっていう気持ちになりました。
そのために時間を取るにはやっぱり今の仕事では無理だっていうことで当時の仕事は辞めて、だいたい今の体制になりました。

ひろ:私は2013年11月の加入で。
おとぼけビ~バ~のベースの方が辞められて、メンバーを募集していて。
私はライブハウスで働いていたんですけど、おとぼけビ~バ~はそこにも出ていて、もともと好きだったんで。受けたときは別のバンドをやっていたんで掛け持ちで、今では一本にっていう感じですね。

あっこ:もうほんまにあのとき応募してくれなかったら。応募者1人しかおらんかったけど(笑)。

ひろ:1人しかおらんかったって後で聞いたからびっくりした(笑)。もうちょいいるやろと思って。

あっこ:「おとぼけビ~バ~が好きな人」「練習が京都でできる人」みたいな。他にも紹介された人はいたんですけど、ちょっと気がむかなくて(笑)。
かほさんは同じサークルの1個下の後輩で、サークルはすぐ辞めちゃったんですけど、そのときから面白い子だなって思ってたんで。
連絡先知らんかったんですけどインスタで連絡して、「今なにやってんの?ドラムやらへん?」って。それで2018年に入ってもらいました。

かほ:サークル自体は半年で辞めちゃったんですけど、唯一好きって思ったのがおとぼけビ~バ~で。ずっとライブも見に行ったりしてたんですが、社会人になったら行けなくなって。
でもドラムは1人で続けてたので、あっこさんが連絡くれたとき、即答で「やります!」って言った記憶があります。

昔ライブを見に行ってたときも、おとぼけビ~バ~でドラム叩きたいなってうっすら思ってたので、何か繋がったなみたいな。ちょっと不思議な感じがします。

楽曲作りもされているあっこさんとスペシャルなギターのよしえさんがもともといらっしゃって、さらにおとぼけビ~バ~が評価される一因でもあるリズム隊の方々があとから入られて、すごい出会いですね。

あっこ:ほんとにありがたいです。

かほ:これ、私が個人的に好きな話なんですけど、よしえさんが東京で勤めていてはって、帰ってくるときのエピソードで。マネージャーのことって言っていいですか。

よしえ:まあ別にいいんじゃない(笑)。新卒で入ったのが、お笑いの会社だったんです。
東京に事務所があって、名前はちょっと伏せとこうかなって思うんですけど、若手芸人さんが出る劇場で勤務していて。

かほ:芸人さんの舞台を、よしえさんは袖から見てらして。そしたらその方たちがすごい緊張して声が全然出てなくて。
私の方が全然前に立てるのにっていう気持ちが湧いたっていう。

よしえ:懐かしいですね(笑)。

あっこ:私はバンドやりたかったけど、よしえちゃんは仕事がやりたいんやって思ってたんで、私はバンドやりたいって言えなかったんです。やっぱり、それぞれの人生があるから言えなかった。そっちを応援しないとって。だけど、ほんまは戻ってきてほしくて。
だから、それを聞いたときに、そやねん…って(笑)。

ひろ:私がよしえちゃんに会ったのは、私が加入してから1年後くらいでしたね。

よしえ:仕事辞めてからひろちゃんに会ってるんで。

あっこ:ベースも入ったし待ってます、みたいな(笑)。

よしえさんのそうした体験も、今に至るには必要だったとすれば、それもすごい縁というか。

よしえ:そうですね。

あっこ:そこで多分本気のスイッチが入ったと思う。

よしえ:それまでは本当に仕事しながら続けるっていうのが、一種かっこいいと思ってるところもあって。
いまでもそれを両立してる人って本当にかっこいいと思いますし、結構京都ってそういうバンドの人が多くて。

あっこ:その方がなんか長く続けられるかなと思ってたんですよね。

よしえ:思ってたんですけど、やっぱりそこに時間をとられてるとき、もちろん仕事も楽しかったんですけど、何かこのままでいいのかなというのがずっとあったんで。
実は小学校の卒業文集で「将来の夢」の欄に書いてたのが「芸人さんのマネージャーになりたい」で(笑)。
一応夢が叶ったんですけど、やっぱり違うなって思っちゃって。
それで帰ってきて、やっぱりバンドに使う時間が増えて、なんとなく自分が確立していった部分がありますね。
本当にこれは最近の話ですね。それまでめちゃくちゃブレてました(笑)。

かほ:『あきまへんか』を聴いたのも戻るきっかけだったんですよね。そのエピソードも好きです。

あっこ:よしえちゃんいないとき、私はしかたなくソロをやってたんですよ。
そのときに曲作って、よしえちゃんに送ってたんですけど、よしえちゃんは忙し過ぎてメールも全然返してくれなかったんです。
でも、その『あきまへんか』だけ「かっこいい」ってメールが返ってきて。初めて私の曲かっこいいって言ってくれたなみたいな(笑)。
だから、大事な曲であり、今のスタートっていう感じの曲です。

(Track 4)海外からのオファーに応えるため音楽一本に

そこからこのメンバーになって、SXSWとかコーチェラに出演するっていうのは、ちょっとまた飛躍がありますよね。

よしえ:私がマネージャーの仕事を辞めるにしても、もちろん音楽一本で食べられる状態ではなかったので、音楽は本気でやるけど、もちろんみんな仕事はしてて、あっこちゃんもすごい有名な酒屋さんで働いてたし、私は私でもうガラッと職業も変えて、公共事業の仕事とかやってたんで。

そこはすごく穏やかな環境だったとか。

よしえ:もうすごく穏やかで。リキッドルームもその職場のお仲間が観に来てくれてて。
穏やかな会社で働かせてもらったりしながら、音楽にちょっと集中できる。がんばればみんな、週1、2回は20時に京都に集合して練習できる、みたいな状態だったので、仕事終わってからみんなで京都行って2時間練習して、週末はライブ、みたいな生活を続けていました。
そういう限られた時間のなかで作ったのが『SUPER CHAMPON』の前の『いてこまヒッツ』っていうアルバムで。
レーベルにジャニスっていう、本当にいろいろデザインとかマネージメント全般すごい才能のある女性がいて、その人に手伝ってもらって、私たちはもう忙しすぎてチェックだけするような体制で作ったアルバムだったんです。
でもそれがなんかいろいろと、Pitchfork(アメリカの音楽メディア)とかでも評価いただいて。そこから徐々にアメリカやヨーロッパに呼んでいただくようになりました。

『ジョージ&ジャニス』のDamnably Recordsですね。
Damnably Recordsからリリースするっていうのは、どうしてそうなったんですか。

あっこ:まだひろちゃんも入っていない、前のメンバーの時なんですけど、少年ナイフとツーマンをやらせてもらって。
Damnably Recordsは少年ナイフをリリースしたことがあるレーベルで、そのライブがきっかけで私らのYouTubeを観て、UKツアーやってみいひんかってメールがいきなりきて。
そのときは渡航費も自腹だったんで、ちょっと迷ってたんですけど、それまでリリースを手伝ってくれてた十代暴動社っていうレーベルの長州さんに「絶対行った方がいい」って背中を押されて。その初めてのUKツアーがいきなり全部売り切れました。

それでレーベルからお金の話もされて、退職してもやっていけるかも、となったんですか。

あっこ:そうですね。2018年まではゴールデンウィークとか、有休を使って海外ツアー行ってて。
2019年にDamnablyから「今は無理かもしれんけど、ゆくゆくは食べていけるよ」って言われて。
音楽で食べていけるとは夢にも思ってなかったんで「え!そんな可能性あるんや!」「じゃあみんなで1回やってみいひん?」って。
海外ツアーのオファーとかめちゃくちゃ来てたんですけど、やっぱり仕事の都合でなかなか行けない。1回きりの人生これでいいんか、海外からのオファーなんて誰でも来るもんじゃないのに、こんな恵まれてるなら行くしかないんじゃないかって。


あっこりんりんさん

あらためて、皆さんのそのときの受け止め方をお聞きしてもいいですか。

よしえ:たしかホテルかどっかでそんな話して、あーそういう道もあるんだなって思ってすごい嬉しくなったのと、私はバンドやるために1回会社辞めてるんで。「やばい!何年も勤めた会社を辞める!」っていうよりも、割と軽く辞められたっていうのもあって。
あとから入った会社では「趣味のために時間をとりたいので、残業少ない会社を選びました」って言ってたくらいで。それで「実は音楽やっててそっちを頑張りたい」って言ったら、めちゃくちゃ応援もしてくれて。そういうのもあったんで、私はすごく前向きに、めちゃくちゃ清々しい気持ちでこのバンド一本っていう道を選ぶことができたなっていう思い出があります。


よよよしえさん

ひろ:私は、元々正社員で働いてたわけじゃなく、ずっとアルバイトをしてたぐらいなので、辞めること自体にそもそも抵抗がなくて、みんなが行くならじゃあ一緒に、ぐらいの結構軽い気持ちだったかもしれないですね。
まあその職場自体バンドマンが多かったり、友達が多いところだったので、びっくりされはしましたけど、みんな喜んで送り出してくれた。


ひろちゃんさん

かほ:私は、教育系の会社で正社員として働きながら、大学のときに自分が通ってた音楽教室で、ドラムのクラスをお手伝いしたり、という感じで働いてたんですけど。どっちも音楽に関わる仕事だったので、やっとプレイヤーになれたことに満足感があって。
なので今は、生徒が見てる、後輩が見てるかもっていう気持ちが結構強いです。


かほキッスさん

あっこ:かほさんを誘ったときに、「かほさん、今何してる?」って言ったら、「社畜してます!」って(笑)。社畜してたら無理かと思いながら誘ったら「やります!」って。結構ポジティブな社畜やった(笑)。

かほ:新卒で入ったのは全然音楽とは違う会社だったんですけど、そこはもう1年くらいで「ドラムがしたいから辞めます」って言って辞めちゃっていたんです。
やっとこう胸張って、ジャジャーン!って言えます。

結果、言わずもがなかもしれないですけど、その決断を振り返ってみていかがですか。

あっこ:それからいきなりコロナになって2年経って、めちゃくちゃ苦しかったんですけど、実際音楽で今生きていけていて、舞台に立つのがお仕事になっているっていうのが、私は毎回めちゃくちゃ嬉しいし、いまだになんかちょっと信じられないっていうか。
ずっと応援して支えてくれている、私たちが日本であまり有名じゃないことに対して悔しい思いをしているファンが、この2年間もすごい支えてくれて。
ライブでは「課金」とか「金置いて行けよ」とか言ってるんですけど、本当にその皆さんの応援で生きていけていて、それを音楽で返せるっていうのがすごい幸せだなって思っています。

後編 につづく

後編では、おとぼけビ~バ~の皆さんの音楽的なバックグラウンドと『あなたとの恋、歌にしてジャスラック』の制作秘話に迫ります!

 

TEXT:KENDRIX Media 編集部

 

Top Top
merumaga merumaga
E-mail Newsletter

メルマガ登録はこちら