ラッパーSHOに聴く、ストリートとSNSと音楽のこと
~地に脚を着けたまま世界へ~(前編)
憧れのラッパーにメールを送ったら、本人から返事が来たのでアメリカに行って本人とつながることができた。
ラッパーのSHOさんは、そんな原体験をもとに、どうしたら自分が「世界中から会いたいと思われる存在」になれるか、を真剣に考え続けている。
2007年からYouTubeで自身の楽曲のMVを公開し始め、いまでは再生回数が100万回を超すMVは10本を数える。
公式チャンネルの登録者数はじわじわと、しかし着実に増え続けており、2021年9月に25万人を突破した。
「海外に広がったきっかけ」と評価するTikTokのフォロワー数は80万人を突破している。
約15年間、一貫してストリートとSNSを主戦場としながらもがき続け、実際に世界を侵食しようとするSHOさんに、音楽クリエイターとしてSNSとどう向き合っているのか、じっくりとお聴きした。
(プロフィール)
SHO(ショー)
1982年生まれ、岐阜県高山市出身。
ラッパー。
元アルペンスキー日本代表。
自身のレーベル「S.TIME STYLE RECORDS」、オリジナルブランド「S.TIME」を運営。
競技スキーヤーからラッパーへ
いきなりですが、冬季オリンピックはご覧になっていますか。※取材時は開催期間中
いや、ニュースで見るくらいですね。
見始めると仕事どころじゃなくなってヤバいなと思って。
あまり見ないようにしていますね。
完全に付け焼き刃の知識なんですが、SHOさんがやられていた種目は技術系ですか。
ぼくの種目は技術系で、回転と大回転がメインでしたね。
日本だと、環境的にもスピード系をトレーニングするのは難しいですか?
難しいですね。スピード系のトレーニングをしようと思ったら岩手の雫石とかまで行かないと。あとは、もうヨーロッパに行くしかないです。
日本のスキー場だと、120キロ出して滑っちゃったりすると迷惑になるので。
海外でトレーニング、というお話がありましたが、競技スキーを断念された理由は、ケガに加えて、経済的な負担も大きかったと語られていました。
そうですね。
ケガをして、リハビリのあと復帰して、国内のトップ選手が集まるレースで優勝できたんですけど、そのシーズンに日本代表に戻れなかった。
スポンサーからのお金が減ることを考えると、本当は親孝行したいのにどうにもならないなと思って。ちょっと待てよ、と思い身を引いたというのもありますね。
経済的な理由が半分と、あとはぼくの精神的な弱さもあったのかなと思いますね。
その後、すぐに音楽に転向されたのではなく、別のお仕事をされていたんですか。
大学の先輩のつてで、5畳くらいの部屋に月3万円で住まわせてもらいながら、横浜のHIP HOP系の洋服屋さんでアルバイトを始めました。
HIP HOPがすごく好きだったので、どうせ働くならずっとHIP HOPが流れているようなところで、と思って。
昼はその洋服屋さんで仕事をして、夜はリリック書いたりとか、スタジオ行ったりとか。
そういう生活でした。
ザ・ゲームに会いにLAへ
そこからどうやって、ザ・ゲームさんとつながったんですか。
当時、ドクター・ドレーがプロデュースしているラッパーが好きで、エミネム、50セントと出てきて、そのあとザ・ゲームが出てきたんですよね。
ぼくがザ・ゲームを見て「これはやばいラッパーが出てきたぞ」と盛り上がっていたら、そのお店の上司の方も、ザ・ゲームにむちゃくちゃ盛り上がっていて。
二人とも、ザ・ゲームが立ち上げたレーベル「The Black Wall Street」のロゴをタトゥーで入れていたので、その写真を撮って「The Black Wall Street」に送ったんですよ。
そしたら次の日に、ザ・ゲーム本人から返事が来て。
「写真を見た、LAに来い」という内容だったのでLAに向かいました。
すごい行動力、、、
LAに着いたら電話しろ、と言われていて、電話したんですけど出てくれないんですよ。
結局連絡が付かないまま4日が経ち、一旦帰国しました。
しばらく途方に暮れてたんですけど、ザ・ゲームのライブ会場に行けば会えるじゃん、って思って、6か月後くらいですけど、またアメリカに向かったんです。
ライブ会場に行ったら、ザ・ゲームはやりとりを覚えてくれていて、「俺たちのクルーだ」と言って楽屋にも入れてくれました。
クルーというのはギャング組織なんで、みんな拳銃とか持ってるんですけど(笑)。
そのあとステージにも上げてくれて「こいつら日本のファミリーなんで」って紹介されて。
それでその上司の方と「The Black Wall Street Japan」っていう、日本支部みたいなものをやらせてもらうことになりました。
夢のような体験ですね。
でもすごく悔しいこともありました。
次のザ・ゲームのアルバムのクレジットに、上司の名前は載っていたのに、ぼくの名前は載っていなかった。
それはミックステープですか。
いや、オフィシャルのアルバムです。
実際、ぼくもスタジオに入ったりしていたので。
その上司の方は、そのあと日本のメジャーレーベルからデビューすることになったと思います。
ぼくは「いやちょっと違うよな」と思って、自分で「S.TIME STYLE RECORDS」というレーベルを立ち上げて、インディペンデントですけど、そこから本格的にやり始めたという感じです。
それが2006年で、2008年には『RIZE&PEACE』『BRAND』、2010年に『ENERGY』というアルバムを出したのですが、その3枚のアルバムが全く売れなくて(笑)。
その後ストリートアルバムを出しまくったり、ということを続けていました。
長いブレイク前夜
2006年というと、日本でもやっとYouTubeが認知され始めたくらい、というタイミングだと思うんですけど、YouTubeはその頃から活用されていたんですか。
さっきの話の続きになるんですけど、何も分からずにいきなりアメリカにポーンと行ったら、売れる前のラッパーやアーティストがストリートでライブをやっていたり、ガソリンスタンドで「Please buy my CD」とか言ってCDを手売りしていたりするのを目の当たりにしたんです。
調べてみると、そういうアーティストのなかから、ちゃんと人気が出てきてメジャーと契約して、海外でもパフォーマンスする、というところまでつながっている、ということが分かって。
地に脚を着けたまま広がっていけるんだな、と感じたんですよね。
これがリアルな成功パターンなのか、と。
実際にはよく分かっていなくって、単純に「ストリートでCDなのか」とだけ思って随分長いことそういう活動をしてしまったんですけど、やがて「やっぱりそれだけじゃダメだよな」と思い始めて。
アーティストなのでMVなんかも出さないといけないということで、2007年に『NEVER GIVE UP』という曲のMVをYouTubeで公開しました。
ただ、そのときはMVの他には、かっこつけたようなインタビュー動画くらいしか出していませんでした。
そこからさらにモードを切り替えた?
はい。毎日のようにストリートにいてCDを手売りして、余った時間でスタジオにも行ったりしながら、「もっと効率的なプロモーションができないかな」と思いました。
それでやっと2012年に、365日フリースタイルラップをYouTubeに上げようと思って「S.H.O Freestyle 365」というコーナーをYouTubeで始めました。
ほとんど家のなかか、路上でフリースタイルしている姿を365日、毎日アップするという。
それができたのはiPhoneのおかげでもあるんですけど。本格的にはそこからですね。
そこで手応えがあった?
いや、全然で(笑)。
そのあと、2014年・2015年あたりに、いわゆるYouTuberというのが、まさにHIKAKINさんとかが出てきて。
自分は、ずっとやってるのにすごい勢いで追い抜かれていって。
HIP HOPのコンテンツだけでは広がらなかったので、そこから多少HIP HOP以外の人も楽しめるコンテンツにしようと。
ストリートで受けている職務質問だったり、ラップ以外の部分も出し始めたんです。
職務質問を受けている動画を拝見しましたが、SHOさんはよく「職務質問を受けているこの時間があったら、自分は〇〇ができる」ということをおっしゃっています。
ストリートでプロモーションしながら、動画も撮ってネットでもプロモーションする、といった具合に、同時並行で色んなことをやろうとされるところが特徴的だな、と感じます。
そうですね。ストリートは冬は寒いですし、人は全然立ち止まってくれない。
耐える時間のほうが長いので、もうちょっと時間を有効活用したい、この時間が無駄だよなと思って。
少しでもライブにお客さんが来てもらえたりするほうがプラスになるよな、と思ってすごく考えました。
ダサいですけど、ラッパーの成り上がり方を知りたい、と思って、ジェイ・Zの本を読んだり。
ジェイ・Zって、もともとドラッグ・ディーラーでコカインを売っていたんですけど、売り物をCDに変えて、CDをドラッグディーラーの時のようにどんどんディールしていった、ということが書いてあったんです。
でも、いま自分がいるこの日本では、それってどう置き換えたらいいんだ、ってなりますよね(笑)。
結局自分で、考えて考えて、考えまくって今のスタイルになった、っていうところがあります。
ブレイクのきっかけは意外なところから
話は戻りますが、YouTubeで手応えがあったのは、2015年頃ということになりますか。
そうですね。もともと『薬物はやめろ』を歌ったのも、ぼくがライブの前によく職務質問を受けるんで、それはちょっと悔しいよなと思って。
警察官の方々のお仕事も理解できるけど、ぼくにも仕事があるし。
「ダメゼッタイ」的なフレーズよりも、ラッパーなら、もっとパンチのあるものを産み出せるんだぞ、という反骨心もあって。
そんななか、ある女子高生が、自分が上げた『薬物はやめろ』の動画を切り抜いて「お前がやめろ」とだけツイートしたんですけど、それが超バズったんですよ。
それからは街を歩いていたら「あ、ヤクブーツの人だ」と言われるようになって。
その女子高生とは、その後交流することはあったんですか。
妹尾ユウカさんという方なんですけど、とにかく文章力、表現力がすごい方で。
一度、タワーレコードのリリースイベントに来てくださって「あのツイートはすみませんでした」って謝ってくれたんですが「とんでもないです、おかげでこれだけ人が並びました」って。
それまで必死に色んなことを考えてやってきましたけど、バズったきっかけは女子高生だったという。
面白いですよね。全く期待していない、想像もしていないところから来たんで。
話が飛んでしまいますが、最近「ラッパーではなくYouTuberと呼ばれることをどう感じますか」と問われた際に「YouTuberはなりたい職業のNo.1だから光栄でしかないけど、それを言ったら自分はいまTikTokerだよ」とおっしゃってました。
女子高生のツイートがきっかけでバズった2015年頃のような、訳の分からない勢いみたいなものを感じるのは、いまはTikTokだったりしますか。
実は『薬物はやめろ』がバズっても、やっぱり海外には広がらないなと思っていました。
その点、地に脚が着いたまま海外に広げられたのはTikTokのおかげ、ということは思いますね。
一気に海外のリスナーさんが増えたきっかけはTikTokでした。
後編 につづく。
TEXT:KENDRIX Media 編集部
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