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私自身も引き裂かれる思いで活動している―春ねむりが語る、傑作アルバム「ekkolaptómenos」

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「1of1」とは世界にひとつしかないもの/ことを指す言葉です。この連載では日本で「1of1」な活動をしているアーティストたちに話を聞いていきます。いろんな人たちのいろんな言葉が連なったとき、日本が独自の感性で育んできた音楽文化を重層的に表現できるのではないかと思っています。

今回は傑作アルバム「ekkolaptómenos」を発表した春ねむりさんにお話しをうかがいました。本作は春さんが4年以上の歳月を費やしてほぼ独力で紡ぎ上げました。テーマは、ルールで固定化された、人間というひとりひとり異なる個を、駆動させる、というもの。「いま・ここ」をキーワードに、神話、文学、哲学を引用しながら、音と言葉を緻密に組み合わせて、壮大で個人的なストーリーを語っていきます。春さんはこの「ekkolaptómenos」をどのように発想し、組み上げていったのか。彼女のチャーミングなパーソナリティが感じられるエピソードも交えながら、熱く話してもらいました。

文:宮崎敬太 写真:雨宮透貴

『anointment』と『terrain vague』のワンループを4年間聴きながら

――アルバム「ekkolaptómenos」は、全曲お一人で打ち込んで制作されたんですよね? ものすごい作曲能力だと思いました。

ありがとうございます(笑)。ベースとギターを生演奏に差し替えている曲がありますが、基本は私が全曲打ち込みで制作しています。

――本作は、神話的モチーフをベースに、サウンドとリリックがリンクする緻密なコンセプトアルバムだと思いました。どの段階で骨格が見えてきたのでしょうか?

『anointment』と『terrain vague』は、4年くらい前からワンループだけできていて。このループを使った曲が中心になるアルバムを作りたいと思っていました。だけどテーマが全然決まらなくて、本当に4年間、ワンループを延々と聴きながら、「どうしよう……」と悩んでいました。

――テーマが決まったきっかけを教えてください。

テラン・ヴァーグという概念を解説している小論文を読んでいる時、限りなく死に近いものとしての“構造”、対して限りなく生に近いものとしての“動体としての存在”みたいなイメージが見えてきて、「これだ!」となりました。

――別のインタビューで春さんはアルバムのテーマについて、「すごくシンプルに言うと、人がめっちゃ流れているところで急に止まってもいい」と説明されていました。

2023年に「正常と狂気の境目はどこなのか?」というテーマで「INSAINT」というEPを制作して、「それはその人がいる社会やルールによって異なる」という結論に辿り着きました。そこから「人ってなんでルールで固定化された状態の中で生きなきゃいけないのかな」「にもかかわらず正常と異常が生まれてくるということは、(ルールに)なにかしらの矛盾や不条理が生じていて、どこかで合理的でないことが起こっているはず」「それはシステムそのものが合理的じゃないからでは?」「人間はシステムを前提に存在してないのでは?」「人間の存在がシステムに先立つのだからでは?」というすごく当たり前な疑問が生まれてきたんです。

――ものすごい言語化能力です。

こういう当たり前のことは普通に生きていると忘れちゃうし、それこそ普通に聞こえちゃうので訴求力としては弱いのかなと思っていて。「なるほど。そうだよね」で終わってしまう。でも私としては「じゃあシステムをぶち壊そうぜ」という方向に持っていきたいんですよ。だから今作で神話的なモチーフを利用しました。神話は、権力的に強い人たちがその力をさらに強化するために使われてきた、という歴史があります。私は神話の構造を使って、「システムをぶち壊そうぜ」と歌うことで逆転の作用が生まれるのではないかと思ったんです。そしたらスケールのでかい作品になりました(笑)。

そろそろこっちから聴き手に要求してもいいかと思った

――『anointment』と『terrain vague』のループを聴きながらイメージを膨らませていったと。

さすがにここまでちゃんと言葉にできてはいませんでしたけどね。

――神話の構造を使って、反抗のメッセージを歌うというイメージを、具体的な作品としてどのようにアウトプットしていったのでしょうか?

構造と存在、構造と法……。そしたら「パノプティコンは避けて通れないなよな」とか、思いつく具体的なものを全部曲にしようと思いました。こういうテーマだったら無限に書けます。納得のいかないことなんてまだまだあるから。

――リリックにするのが特に難しかった曲を教えてください。

『terrain vague』ですね。

――<いま・ここ>というキーワードも歌われる、「ekkolaptómenos」の根幹と言える楽曲ですね。

そう。私はテラン・ヴァーグの概念(※何らかの出来事が起こったのちの、放棄された空虚な場所を意味する)をある程度理解しているから何を言っているかわかるけど、初めて聴く人はどんな感想を抱くんだろうっていう面で結構悩みました。

――正直、僕は先ほども出てきた『panopticon』も、この『terrain vague』も初耳だったので、ネットで調べてリリックを噛み砕いて、さらにツアーファイナルより販売されるというセルフライナーノーツをじっくりと読んで、ようやく「ちょっと理解できたかな?」という状態で今日の取材に来ました。ある程度、春さんの意図がわかった上で、『terrain vague』の“あるがままをただ抱きしめてみたい”を聴くと、そこにものすごいカタルシスがあることに気がつきました。

(『terrain vague』は)もうそれ(あるがままをただ抱きしめてみたい)を言うためだけにクソなげえ前置きを書きました(笑)。もっと簡単な単語を使って優しく書くこともできたんです。たぶんそっちのほうが正解だと思うんですけど、もう3rdフルアルバムだし、そろそろこっちから聴き手に要求してもいいか、と思ったんですよね。もう「わからない単語は調べてほしい」みたいな。あと現代社会って、人に余暇を与えないことで成立していると思う。何もしない時間がなく、物事を深く考えさせてもくれない。この『terrain vague』は、システムがあなたを本質から遠ざけているっていうことを言っているので、逆に言うとこの曲のために時間を割いてくれないと絶対に理解できない曲でもあるんです。そういうものを初めて提出してみた感じですね。


春ねむり HARU NEMURI「terrain vague」(Official Music Video)

全部説明した上で、「で、どう思う?」と聞きたい気持ちがあった

――なぜセルフライナーノーツを執筆されたんですか?

もう全部説明した上で、「で、どう思う?」と聞きたい気持ちがあったからです。私は自分の作品に対して俯瞰した視点を持っています。だからこういう文章が書けるんだと思う。私は良い批評がないと良い音楽が生まれてこないと思っています。だからこそ自分の作品をちゃんと説明したかったんです。

――実際ライナーノーツを読んで、本当に「で、どう思う?」と言われている気がしました。

たぶんあのライナーノーツを専門職の方に見せたら、普通に「C」とかで返ってくるレポートだと思うんですよ(笑)。でもこれをやるミュージシャンが少なすぎる。「みんなもっと考えて作ってるでしょ?」と思うけど、そこを自分ではあまり口にしない。感じたことを感じたまま表現すればいいという芸術ピュアネス信仰というか。実際、そのほうが(音楽に)魔法がかかった感じにはなる。でも私は、それだとおもろしくないと思う。刺激が足りないというか。ちゃんと聴かれて、ちゃんと批評されるべき。そのほうが健全だと感じています。

――僕はこの「ekkolaptómenos」から春さんの強い怒りを感じました。僕が何よりも共感したのは、その怒りが弱者/少数派の立場から生まれたものだ、と感じられたことです。自分は30代後半で鬱病になって以来、この社会(システム/構造)に適合できない、居場所のない人間だと思って生きています。ながらく「自分は弱い」と、怒ることを諦めていましたが、このアルバムが「いや違うのでは?」と考え始めるきっかけになったんです。

おお。そういう反応は初めてかも。今の段階(8月19日)だと、まだツアーもしていないし、リスナーにどう届いているかがわからないんですよね。装置としての神話を意識的に使っていることに関しても、みんなは「お、なんか違うことやってきた」「何やってんだろ?」みたいな(笑)。

――あと僕はマンガ「ベルセルク」やゲーム「ウィッチャー」の大ファンなので、そういう神話的な世界観を用いてレベルミュージックを創作されていることにも興奮しましたね。

実は私、ツアーでポーランドに行った時、「ウィッチャー」を制作しているCD Projekt REDの本社に行って、ゲラルト(※ゲーム「ウィッチャー 3」の主人公。目と髪の色が特殊なため、ゲームの世界では差別される存在で、常にNPCから罵詈雑言を浴びせられる)と写真撮ってきたんですよ(笑)。

――え、うらやましすぎます。春さんは同じくCD Projekt RED制作のゲーム「Cyberpunk 2077」のコンテストに勝ち抜いて『さまよえるままゆけ』がゲーム内ラジオでプレイされていますよね。

そうそう。ポーランドにいた時、向こうから連絡をくれて社内を案内してくれました。……ちょっと話がそれましたけど、「ekkolaptómenos」は「ウィッチャー3」をプレイしている現実の私ではなく、あのゲームの世界に完全に入り込んでいる私なんですよね。

強さを基準にした世の中なんてしんどくない?

――『excivitas』でトマス・ホッブスの「リヴァイアサン」を歌詞に引用し、個人を支配する資本主義の構造に対して攻撃しています。

このアルバムで私が解体すべきと言っている資本主義とは、世界に1パーセントしかいないスーパー富裕層を指しています。言っておきたいのは、年収1000万円の家庭ではない、ということ。確かに年収1000万円の家庭も恵まれていると思いますけど、そこじゃないんですよね。なんで私が突然年収1000万円という例に挙げたのかというと、年収1000万円前後の人たちに「あなたはこの資本主義というシステムにおいて、上位1パーセントのスーパー富裕層ではない」と言うと、少なくない人が嫌な気持ちになるという事実に直面したからです。

――そんな人がいるんですか……?

私も「なんなんだ、その複雑な感情は……?」と戸惑いました(笑)。でも私は人生の中でそういう人たちと結構出会ってきた。いわゆる高学歴なシス男性が反リベラルになるのはその感覚が根幹にあるのかなって。つまり自分が狙われている側にいると思っているというか。確かにそういう人たちも特権は持っているけど、こっちが言っている特権はもっと上のやつのことだよっていう。実際、スーパー富裕層と年収1000万の間には格差があるし、なんならお前も税金で搾り取られているでしょ、と思うんですけどね。一億総中流が生み出してきた弊害は、そういう構造認識の欠如なのかもしれないと感じていたんです。

――自分が搾取されている側だと認めたくない、マチズモ的プライドとも言えますね。

そんな強さを基準にした世の中なんて「みんなしんどくない?」と思うんです。私は自分が変でも生きていける世界がいい。たとえば、バリアフリーの議論に関してもそう。私はスロープのほうが階段よりも楽じゃん、と思う。

――階段を登れない/登るのに苦労する人がいる、という目線の欠如ですね。

それ(階段を登れること)が特権的だ、という認識がないから、スロープにしようと想像すらできない。

――春さんは、バリアフリーに代表される弱さに根差した視点が広まらない背景には、正確な構造認識ができない人たちの保守的な姿勢が背景にある、と見ているのですか?

そうです。別にそう思うのは勝手だけど、だったらその強さを基準に世界を作るっていう理屈で私を納得させてほしい。これまで何度もそういう人と話してきたけど、「合理性を欠いているのはそちらでは?」と感じることしか言われたことがないんですよね。私は弱さと向き合うことが、それぞれの人生を生きることだと思っています。

――それを聞いて、重度の障害がある舩後靖彦氏が政界引退会見で「働くなかで感じたのは、議員は『超人的に健康で、体力があって、元気な人ばかり』ということです。国会議員は『そういうもの』という固定観念は、『元気で動けなければ役に立たない』という優生思想につながってしまいます。この社会には、望んでいても十分に働けない人が多くいます。ごく一部の『強い男性』しか活動できないのは、国権の最高機関の姿として健全とは思いません」と発言していたことを思い出しました。

システムを利用できる側からすると、システムそのものを疑われることが最も恐ろしいことなんだろうなと思っています。それは自分の特権が脅かされる恐怖ではなく、自分が明日その被差別の立場になりうることを知ってしまう、という恐怖です。私はそこにこそ革命の可能性があると思っています。だから私はしつこく言うし、絶対に忘れさせないために活動しています。

加害の語りが少なすぎる

――今回のアルバムを聴いていると必ず「この曲好き」と思うのが、『cosmic egg』でした。

お、嬉しい。最初はハイパーポップのバラードみたいな曲を作ろうと思っていたんです。最初期はもっとグリッジっぽい感じのビートだったんですけど、やっていくうちにアコースティックな要素を増やして、両方の要素が感じられる雰囲気にしたいなと思ったんです。

――何か意図があったんですか?

(「ekkolaptómenos」という作品の)物語のイメージがここまで結構アニメっぽい、フィクショナルな感じだったと思うんですけど、だんだん肉体的になっていく瞬間を描きたいイメージが出てきました。この曲を作っている段階で、すでに神話を装置として使うという意図はあったので、私が私の実存を取りこぼしたら、このアルバムがただの装置で終わってしまう。隠蔽できちゃうなと思って。だから『cosmic egg』のような曲を入れておかなければ、聴き流せちゃうアルバムになりかねないと思ったんです。

――なるほど。

肉体が変わる瞬間みたいな。体に羽が生える際のイメージというか。フィクションではない体を経由してフィクションに到達する感じ。私自身も引き裂かれる思いで活動していることに準えて歌詞を書いていきました。

――つづく『indulgentia』の“I’m an witch with tatoos”というシャウトにぶち上がりました。

実はあれ、自分の未発表曲から引用していて。タトゥーの入った魔女みたいな曲があるんです。でもちょっと現実から乖離しすぎているなと思って、「INSAINT」にも入れなかったんですね。だけど、この『indulgentia』は贖宥の話をしていて、許されざる者を描いているから、「ここならちょうどいい雰囲気になるのでは?」と思って。臭すぎず、架空すぎず、物語演出としての効果もあり。うまくハマりましたね。

――そしてアルバム後半には、より現実的な『symposium』が収録されています。この曲では、日本人にとっての不都合な真実がテーマになっています。僕は映画をきっかけに2000年代ごろからさまざまな韓国の文化に触れるようになりました。日本と韓国の関係は、紆余曲折を経て、ここ数年で相当改善されたと思う。だけどそれは韓国の人たちが我々を受け入れてくれているだけ。僕はK-POPも好きだから、大半の日本人がかつて朝鮮半島を侵略した事実を認識すらしていない状況に疑問を感じていて。

私がこのことを意識するようになったのは、アメリカでは広島と長崎に原子爆弾を落として現在の世界ができました、と教えていると知った時です。しかも平和教育として。同様に、私たちも平和教育を受けてきましたよね。我が国の平和教育もたいがいだけど、お前(アメリカ)のとこにもドン引きするわっていう。その視点でいけば、韓国の人、中国の人も同じく日本の平和教育にドン引きしているんだろうなって思ったんです。

――日本の平和教育だと、日本の被害者としての側面が強調されます。だけど……

そう。加害の語りが少なすぎるんです。平和教育が何を隠蔽してきたか。歴史とはマジョリティの主観である、とすごく思うんですよね。

変な踊りを見せてほしい

――そしてすべてが『iconoclasm』に集約されていくという。これはものすごく個人的な話なんですが、BUCK-TICKにも『iconoclasm』という楽曲がありまして。

これは本当にたまたまなんですけど、今回のアルバムのタイトルを並べた時、自分でも「ヤバい。全然意味が伝わんないかも」と思ったんです。そしたらちょうどBUCK-TICKの最新アルバム「スブロサ SUBROSA」のリリース情報が出ていたので、なんとなく見てみたら、全曲ものすごいタイトルだったんですよ。あのBUCK-TICKがこんなぶっ飛んでいるなら、うちらもこれで大丈夫だって思えたんですよね(笑)。

――僕、BUCK-TICKに超影響を受けているので、そのエピソードは最高です。

私はその最新アルバムを機にちゃんと聴き始めました。もう発想が独創的すぎて「どうなっているんだ、この人たちは」と驚きました。

――話を春さんの作品に戻すと、『iconoclasm』は凄まじいエネルギーで、システムを破壊しようと歌っています。

そうですね。結局のところ、その現状で言えることはそれしかない。

――破壊と同時に、祈りも本作の重要なメッセージです。

そうですね。このようにあってほしい、とただ望むこと。祈りと呪いは対極にあるけど、私の中では正負反転している概念だと思っています。対象に対して、強制するわけじゃなく、ただ願うこと。それが今作における祈りですね。

――春さんは今作から自主レーベルを立ち上げて活動され、非常に完成度の高いアルバムを発表されたわけですが、今後やってみたいことはありますか?

プロデュースに興味あります。最近自分に飽きてしまっていて(笑)。私はより深く考えることが得意なので、誰かの手助けをしてみたいんですよね。若手の育成とか。

――このインタビューが公開される頃、春さんはおそらく自身初の日本ツアー中です。

この間、リリースパーティを開催して、その時初めてアルバムの曲だけでライブをやってみたんですが、意外と踊れる曲が多い(笑)。踊りやすくはないけど踊れる。きっとみんな変な踊りになると思う。けどその変な踊りを見せてほしいです。自分の体が変なふうに動くって許容することが、自分が変であることを許容することの最初のとっかかり。私も踊っているけど、たぶん変だから、その認識をみんなが共有して、会場に集ってくれたらめっちゃいいなと思っています。

――その話を聞いてボアダムスのライブを思い出しました。

おー。でも今の段階ではまだ不安な気持ちのほうが大きいかな(笑)。アルバムを聴いて気になった方は気軽に遊びに来てほしいです。


春ねむり
1995年生まれ、神奈川県横浜市出身。
シンガーソングライター / ポエトリーラッパー / プロデューサー。
全楽曲の作詞、作曲、編曲を手がける。
2016年に「春ねむり」としての活動を開始、2018年に初のフルアルバム「春と修羅」、2022年に2ndフルアルバム「春火燎原」、2023年にEP「INSAINT」をリリース。
2025年1月、DIYかつアナーキーな活動の実践を目指し、独立と自主レーベル「エコラプトメノス」の設立を発表。
2025年8月、アルバムとしては5年ぶりとなる「ekkolaptómenos」をリリース。

(ライブ情報)
春ねむり“ekkolaptómenos” TOUR 2025

09月12日 アメリカ・ロサンゼルス THE ROXY
09月15日 アメリカ・サンフランシスコ CRYBABY
09月18日 カナダ・バンクーバー THE FOX
09月19日 アメリカ・シアトル MADAME LOU’S
09月21日 アメリカ・シカゴ CHOP SHOP
09月23日 アメリカ・ニューヨーク ELSEWHERE
09月25日 カナダ・トロント The Dance Cave
09月27日 アメリカ・ボストン MIDDLE EAST
09月29日 アメリカ・ワシントン D.C. BLACK CAT
10月07日 日本・神奈川 横浜 B.B.STREET
10月12日 日本・茨城 勝田 Stormy Monday
10月26日 日本・福島 いわき Music Bar burrows
10月31日 台湾・台北 THE WALL
11月01日 台湾・台北 PIPE Live Music
11月15日 日本・愛知 名古屋 K.Dハポン
11月16日 日本・京都 METRO
11月18日 日本・大阪 CONPASS
11月23日 日本・北海道 札幌 KLUB COUNTER ACTION
11月26日 日本・福岡 graf
11月29日 日本・沖縄 コザ 騒音舎
11月30日 日本・沖縄 那覇 fanfare
12月10日 日本・東京 渋谷 WWW (ツアーファイナル ワンマンライブ)

チケット(日本ツアー):Livepocket

宮崎敬太
1977年生まれ、神奈川県出身。音楽ライター。オルタナティブなダンスミュージック、映画、マンガ、アニメ、ドラマ、動物が好き。WEB媒体での執筆活動の他、巻紗葉名義で「街のものがたり」(P-VINE BOOKS)を執筆、D.O自伝「悪党の詩」(彩図社)の構成なども担当。
Instagram:https://www.instagram.com/exo_keita/
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